みんなインターネット大好きだよね。
インターネットで夢をつかんだ人は何人いるんだろう。
インターネットで人生が壊れた人より多いのかな。
1995年に生まれた僕はインターネットと一緒に育ってきた。
おそらく、現代社会もインターネットと一緒に育ってきた。
インターネットで飯を食ってる人は世界に何億人いるんだろう。
※これは、ネット関係の会社で働いている人や動画クリエイター、配信者、プロブロガーだけでなく、スマホやパソコンを見ながら昼ご飯や夕ご飯を食べる人も指している高度な表現である。
とにかく、生活の中にはインターネットが完全に融合している。
朝起きて、まず携帯をチェックするとそこにはインターネット経由で手に入れたニュースアプリやSNSの通知が入っていて、それを眺めていると会社や学校に着く。
人によっては仕事してる間じゅうインターネットに接続しているだろうし、しゃべりたがりなティーネイジャーもコミュニケーションに障害ありなハイティーンもしゃべること・考えることの数十パーセントはインターネット由来のことだろう。
時間を持て余すと人は「リアル」(インターネットが生活の半分かそこらを占め始めた頃に登場した言葉)から「ネット」へ心を映し、自分の実生活とは全く関係のない赤の他人が顔出しで批判の対象になっているのを見て心を満たす。時にはその祭りに参加するし、心の中身も垂れ流す。
みんな、インターネット大好きだよね。
歌って踊って喋っているところを動画に撮ったり配信したり、それを見て時間をつぶしたり、ブログを漁って話題を見つけたりそれを叩いてみたり、名前も顔も知らない(あるいは両方一方的に知ってる)人の機微に心を動かしている。
そんなの全然、本質的じゃないのに夢中になっちゃう。
そいつがどうなろうと、何を言っていようと、いくらあくどい手でお金を稼いでいようと、全然自分の生活には影響ないことの方が多いのにね。
インターネットって不思議だね。
高度なテクノロジーはその存在を環境に溶け込ませて存在を認知されないというけれどまさにその通りだと思う。今の日本ならどこにいても大抵電波はつながるし。
その存在や生活への影響度を知覚するのはスマホやパソコンが何らかの理由で使えなくなった時ぐらいかな。
例えば政治の話題とか、自分の生活に影響ある話題なら必死になって言葉を発信して意見をアピールする、っていう行動は理解できるんだけど、その行動も「インターネット経由」、つまりは仮想世界を経由してリアルに干渉しようとしてるわけで、全然本質的じゃない。人間って全然合理的じゃないし効率的じゃないよね。
一部の人や企業はそれに気づいていて、インターネットを「手段」と認識して有効に利用してお金を稼いでリアルを潤わせているわけだけど、たいていの人はインターネットを「目的」にしているんだもんね。
みんなインターネット大好きだよね。
もう一段、本質を掘り下げると
みんな他人と関わること大好きだよね。
喧嘩したいし意見を聞いてもらいたいし面白いものはたくさん見たい。
それって抗いがたい魅力なんだろうな。
24時間、いや睡眠時間を除いた16時間を一生懸命働かなくても生きていけるようになった現代(確か産業革命前は人口の70~80%は農業従事者)では、時間が余っちゃってしょうがないから、インターネットで時間を潰す。インターネットに繋いで何かを見たり聞いたり書いたり喋ったりすることが至上命題、目的になる。
そこに目をつけた会社や個人がインターネットを利潤や自己承認欲求の満足を生み出す「場」「手段」として利用する。
ここに「認知の格差」は存在する。
インターネットを「手段」として利用する人はこの先もきっと本質を忘れないけど、インターネットが「目的」になってしまっている人は右に左に流されていく。それが心地いいから。
人間のそういうところって面白いと思うし、僕もインターネットは大好き。
ただ、手段としてうまく使っていきたいな。終わり。