青春の残り香
昨晩部屋の電気をつけたまま「寝落ち」してしまい、身体の疲れが抜けていないままだ。大学へ向かう電車の中でこれを書いている。
空は灰色で、五月の湿気が緩い圧迫感を発しながら僕の髪を押さえつけてくる。まるでやる気を封じ込めようとしているようだ。
ともに東京に向かう人々は、思い思いの時間を過ごしている。 小説を読むサラリーマン、英単語を勉強する学生、スマホを覗き込む女のひと、ことも無げに窓の外を見やるひと。
みんな生きている。当たり前だけど。
それぞれにストーリーがあって、毎日があって、そして未来がある。
その原動力ってなんなんだろう?
そんなことが気になった。
青春の残り香
こういう素朴な疑問が浮かんだときは、まず自分のことを振り返るようにしている。なんでもないことのように思えるものほど、実は生きる上で大事だったりする(ような気がする)から。
『僕は、なぜ毎日大学に行って、休日も外に出るようにしてるんだっけ?』
すぐに出てくる答えは、「これからも生きるため」だ。
だが。
生きることそのものを目的にしてはいけない気がする。ので、もう少し考えた。
『毎日「生きてる」って思ってる?』
…
…
思ってないなぁ。
色々追われてる。
「やった方がいいこと」に追われて、「やりたいこと」ができてない。
そこまで考えたときに、何かが聞こえた。
「やれよ笑」
それは懐かしい声でぽつりと言った。
かつて、嫌というほど聴き、狂おしいほどに好きだった声だった。
ああ。
そうだった。
バンドを組んで、全校生徒の前でライブをしたのは、ステージに立って歌うあの人の姿を一番近くで見てみたかったからだった。
中学に入ってからろくに勉強もしてこなかった僕が大学受験に本気になったのはあの人のためだった。
僕が「生きていた」頃は、いつだってあの人の声がそばにあった。
今は違う。
あの人の声は僕の手の届かない場所に行ってしまった。
けれど、だからといって、あの人が僕にくれた「生きる力」は消えてはいなかった。
いまだに元気をもらってることに苦笑いしながら、心で呟く。
「やるよ」
電車が駅に滑り込む。
湿った空気を吸い込み、僕は今日も生きていく。やりたいことを一緒にやっていたあの時の自分とあの人に背中を押されながら。