明日、渋谷が死んだら
この金・土・日と、渋谷で別々の用事があって、基本的に3日間、朝から夕方までを渋谷で過ごしていた。
渋谷はエネルギーの街だ。
古くからの百貨店が軒を連ね、チェーン店が鼻息を荒くして今日の稼ぎを更新し、新進気鋭のスイーツ・ショップや小さな服屋がその伝説の第一歩を踏み出そうとしている。その裏側では、様々なカルチャーの中心となるような店、あるいは劇場が、そして落ち着いた雰囲気のカフェたちが今日もじっくりどっしり構えている。
通りを行くのは、そんなカルチャーを一身に吸収して時代を作っていく若者たちと、そんな日本人を一目見ようと意気込む海外からのお客さん、スーツの上着を小脇に抱えて忙しそうに横断歩道を渡るサラリーマンたち。
街にも、人にも、エネルギーが溢れている街。それが渋谷だ。と思う。
今日もまた二酸化炭素濃度の高い人混みをかき分け、やっとの思いでたどり着いたスクランブル交差点で信号待ちをする。日曜日という状況と、選挙を控えた政党の演説に伴う混雑に備えた警察官がたくさん出動していた。
そんな人混みと警察と政治家を見て思った。
「今ここでテロとか事件とか災害が起こったら何人死ぬんだろう」
無い話ではない気がした。
世界はある日突然、理不尽にひっくり返ることがあるということを僕は知っている。
そこで命が奪われる可能性があることも知っている。
JFK、浅沼稲次郎、9.11、3.11、そして先日のバングラデシュ。
明日、渋谷が死んだら。
これだけエネルギーに溢れた街が無くなってしまったら。
僕らの未来はどうなる。
その時になってようやく、真面目に考え始めるかもしれない。
「これまでの毎日は、当然ではなく偶然の産物だったんだ」と。
実際、東京のテロ対策がどれくらいのレベルで行われているのかはよく知らないけど、誰かが、行動力と信念が一般人のそれを超越している誰かが、ちょっとした思いつきとともに行動してしまったら、いとも簡単にこのエネルギーの街は崩壊してしまうんじゃないか。
そんな風に明日のことを考えてしまった。
日曜日が終わるのは憂鬱だ。
明日もこのままであればいい、と思う一方で、現実の延長線上に十分あり得る選択肢としてそういう「崩壊」が常に存在していることを忘れてはいけないような。そんな気がしている。
明日、渋谷が死んだら。
僕はどうするだろう。
日本はどうなるんだろう。
あなたは、どう感じるだろう。
そうして、日常が遠ざかっていく。(1000字)