はてなファイトクラブに所属した。だから話す。そして戦う。
どうしようもなく新宿だった。
学生の身分にある20歳の僕は、生活費の80%以上を親に頼っている。
それでも、自分の飲食費や書籍代、交遊費、Adobeに払う月額料金くらいは稼ごうと思い、ある会社で調査・資料作成のインターンをしている。誰にでも出来る、インターネットを使った調べごとだ。だんだんうまくはなっていると思うけれど、まだまだ僕の技術は遅い。プロのリサーチャーがやったらもっと早く情報をまとめられるんだろう。
その仕事、時給1000円。
東京なら普通かな。
ありがたいことに、スケジュールは完全に僕の都合で入れさせてもらっている。
これで、僕は月に数万円をなんとか稼いでいるという現状がここ数ヶ月横たわっている。
他にバイトをする元気も時間もなく。
僕は今日もそこにいた。
ビル風が強く吹きすさぶ。
それはそれはどうしようもなく新宿だった。
人間は自らを拡張すると同時にその全てを構造化されていく
東京が春らしい春の景色に満ちていた2週間前に、こんな話を聞いた。
マーシャル・マクルーハンという人の言葉だった。
「メディアとは、人間が作った技術全般である」
「あらゆるメディア(=技術)は、 人間の感覚能力や運動能力を拡張し、外化したもの、という意味で 「人間の拡張」である。」
なるほど、確かにそうだ。
僕が今着ている服は「皮膚の拡張」=防御・防寒だし、目の前にあるパソコン、そしてインターネットは「神経を拡張」してくれている(心の中で思っていることを文字にできるし、遠く離れた場所の景色・音をリアルタイム・非リアルタイムで見せて聞かせてくれる)。
さらに、マーシャル・マクルーハンの言葉を聞いた。
Media is Message.
メディアにとって重要なのは、その内容ではなく、メディアそれ自体である。
人間の行為/経験/関係はメディアの形式によって構造化される。
どういうことかというと。
人間はメディアの存在によって自分を拡張し世界とコミュニケートすると同時に、そのメディアによって世界との付き合い方を決められているということだ。
もっと具体的に言おう。
- 誰かが開発した「文字」によって、僕たちは思考している。
- 今、あなたはこの文章を何らかの液晶画面を通して読んでいる。スマホかもしれないしパソコンかもしれないが、あなたがこの文章を読むにはその媒体を使うしかない。
- 5・7・5のルールが設けられたことで、俳句という芸術が生まれた。
まだわかりにくいかもしれない。
これはどうだろう。
これが、メディアによる人の構造化。ということらしい。
スマホを使うということは、スマホのルールーー画面にタッチするという行為に則るということ。これが人間の経験・行為・関係の構造化だ。
この話を聞いた時に、僕は「ふーん」と低く唸った。
それはギリギリ人間の「声」だったが、その「音」を発した意識は獣のそれに近い原初的な反応だった。
戦い続ける、そのあとで生きて行く
僕は今日、このグループに参加した。
ファイト・クラブという映画は見たことがない。
けど、自由ネコさんの記事と予告動画を見て興味をそそられた。
面白そうだ。時間ができたらすぐにみよう。そう思った。
ファイトクラブにはルールがある。
ファイトクラブのことをみんなに話せ。
ファイトクラブのことをみんなに話しまくれ。
相手が戦意を失ったらそこでファイトは終了。
ファイトは必ずしも1対1である必要はない。
同時進行で複数のファイトを掛け持ちしてもよい。
シャツと靴は着たまま戦ってよい。
ファイトに時間制限はない。
初めて「はてなファイトクラブ」に来たものは、必ず戦わなければならない。
これに則る。
まずはルール1と2。みんなに話した。
次にルール8。俺は初めて来たから、今から戦いを始めようと思う。
これが俺の戦いだ。
「ブログによって構造化されない生き方を探す」
これだ。言ってやった。
相手は俺自身だ。ルール4によれば、ファイトは必ずしも1対1でなくてもいいらしい。つまり、1対0でもいいってことだ。うん、OK。
ルール3と7。相手=俺が戦意を失えばファイトは終了。時間制限はない。
つまり、生き方を見つけるまでファイトは続くということだ。
ルール5。複数のファイトを掛け持ちしても良い。
これは、いずれそうなるだろう。
最後にルール6。シャツと靴は着たまま戦って良い。
なぜか、今は両方着ていない。
さて、ここからは俺が設定し“最初の”ファイトについて説明していく。
ブログってものを書いている人にはそれぞれ理由があるらしい。それはこの2,3日でなんとなくわかった。今まで人のブログを見に行くこともなかったけど、ついに引きこもるのをやめてみたら案外面白かった。
俺がブログを書いている理由、気がついたら40記事を超えていた理由はただ一つ。
ブログの外の世界で感じた「ヘン」なことを、言葉や写真や絵にして吐き出しておく場所が必要だったから書いている。
外の世界で身軽に生きるために書いている。
外の世界で感じたことを形にしておく楽しみを知ったから書いている。
ということは、つまりは今は「ブログに構造化されてる」ってことなんだけれど。
いつか、何も書くことがなくなるときがくるだろう。
それはネタ切れの瞬間ではなく。
ブログというメディアが規定する俺の行為=記事を書く
これを超えて、
メディアを介さずに行われる俺の行為が、ブログというメディアに収まらなくなる瞬間
いつかこの時がくるはずだ。
それを見つけるまで、俺はファイトし続けることにした。
マーシャル・マクルーハンの言葉、俺の生き方、そしてこれからの全てをファイトクラブに残そう。
どうしようもなく新宿
ではなく、
俺がいるのが新宿。
そうなる時まで、俺はファイトをやめない。
そんなことを考えながら、再び調査の仕事に戻る。
自由ネコさん、いい機会と場所をありがとうございます。