DRILLOOOON!!!!

だいたい1000字くらいで20歳の夏の思い出を書き溜めます。

世の中、ずるいやつばかり。

自分は何者で、どこへ行くのか。-土曜日の実験室+ 詩と批評とあと何か-

西島大介さんの、土曜日の実験室+ 詩と批評とあと何か を読んだ。

タワレコ渋谷本店で『Điện Biên Phủ』と出会い、即買ったのが去年の春。Twitterをフォローしたのが、この秋。

 

水曜日のカンパネラのコムアイが帯コメントを書いていたから、Twitterで発売をチラッと見たから…という理由と、何か気軽に読めるものを探していたから…という理由で、ヨドバシAKIBAの有隣堂で手に取ったこの一冊。ぺらっとめくったところに献辞。

 

『由希代に。寧里と有里に。二十歳の魂に。』

 

 

 

 

奇しくも、この『土曜日の実験室+』の発行日12月10日は僕の二十歳の誕生日だった。

すぐに購入を決意した。

 

そして。

 

先ほど読み終わったばかりだから感想はまだしっかりとまとまっていないが…

ゼロ年代』の空気は十二分に詰まっていた。自分が10歳だった頃のセカイが広がっていた。

その中で、西島大介さんと自分とに思うところがあったので、それについて書く。

◆ ◆ 

実のところ、彼が触れた二十歳の魂とは「椎名もた」さんのことだったようだ。なるほど。

 

さて、20歳になったばかりの僕の、どこが重なりそうなのか。

 

それは、彼の肩書きの多さとそれゆえの叫びだ。

「ある時は 漫画家として、絵描きとして、音楽家として、文筆家として。マンガ家になる以前からさまざまな肩書きを持っていた僕は、創作と批評を、サブカルチャーとオタクカルチャーを、雑誌で例えるなら「SFマガジン」「QJ」「ユリイカ」「スタジオボイス」「美術手帖」を無責任に横断できる珍しい存在でした。

-土曜日の実験室+ 文庫版あとがきより抜粋

 

(中略)西島大介が本書で繰り広げた、異なるジャンル同士を関連付けて語るやり方は、しばしば巻頭に収められている「オタク」と「サブカル」の対立を踏まえたものになっている。(中略)西島大介は当然のように複数のジャンルを横断的に眺めていたから、そうした状況に違和感を覚える。二項対立のどちらが優勢かなどという論点は、はっきり言って、彼にとっては全くどうでもいいことだ。彼が気にしているのは、むしろ人々がつまらない対立に精を出しているその時に、同時多発的にそれぞれのジャンルを覆っている、閉塞感と不能感と膠着感のことなのだ。その、真の大状況とでも言うべきものが見過ごされていることが、西島大介には理解できない。

解説──あの荒野で待ってるよ より抜粋 

 

複数の視点を、ゼロ年代の時点で持っていた西島大介

不思議な人だ。自分というものをどこに置いているのか、どこが評価されているのかよくわかっていないまま進んできた男。

時代を、みんなのはるか上空から眺めていた人物。彼の眼には今何が見えているのだろう。

 

◆ ◆ ◆

 

僕は、2015年の春先に「シンギュラリティ」について知った。時代がぶっ壊れる瞬間に、おそらく僕は居合わせる。わくわくした。心臓が期待に満ちた音を響かせたのを覚えている。

 

その時、時代がぶっ壊れる時、僕はどこにいるべきだろうか。

 

そう自分に問うて、出てきた答えは簡単だった。

 

「その破壊を最前線で眺められる場所にいたい。」

 

そのために、「新しいものを作っていく人になろう」と決意して、まずはゲームを作り始めた。シンギュラリティに至った後の世界を描くために。

 

道半ばにして、自分について深く見つめなおす機会があった。禅を組んだ。

すると、不思議なものが見えてきた。

 

経営コンサルタント、マーケター。現実・現在に基点を置く自分」

「ソロギター奏者、DJ。幻想・願いに基点を置く自分」

「起業家。何か新しいものを作る会社の社長をしている自分」

「デザイナー。ひたすら、自分が作りたいものをアナログに作っていくだけの自分」

 

現時点で、これだけの像が見えてきた。どれが自分の本体なのかわからない。わからないが、言えることが一つだけある。

 

どれをとっても、シンギュラリティの最前線に居座ることはできない!

 

これは問題だ。今の自分を形づくっている起点はそこのはずなのに、それに適うだけのイメージができていない。新しいものを作っているだけでは、新時代を作ることはできない…

 

この4つの像に、「あと何か」を足さなくてはならない。

西島大介さんの言葉を借りれば、「詩と批評」だけでは足りないということ。この二つだけでは息苦しい。大切なのは、詩と批評とあと何か……。

 

僕にとってのあと何かはこれから見つけていくとして、僕に残された時間はあとだいたい30数年。いや、20数年。それだけの時間の中で、新時代を切り開く何かを見つけなくてはならない。

 

時間が足りない。圧倒的な速さで、未来を掴みとらなくてはならない。

西島大介さんがかつて感じた真の大状況を、僕も自分流に感じている。

彼は、すべてを諦めて、荒野で一人で待つことを選んだ。みんなが気づくのを。

僕は、まだ諦めてはいけない年齢だと思う。だから。みんなが気づかざるをえないものを作らなきゃならない。

 

西島さんは僕よりも二十年先に生まれた人だが、八年先に生まれた人に落合陽一という人がいる。彼もまた、時代を今まさに作っている人だ。分野を横断し、自分だけの戦い方を持つ人。彼の書いた「魔法の世紀」もすでに手に入れているから、読み終わったらまた感想を書いてみようと思う。

 

先人、というとちょっと気が早い気もするけど、彼らに追いつき、追い越すためにも、「食事の内容を見直すなど健康への関心を高め」ようと思う。