何かを思いつくには「敬意」が欠かせないと思う。
金曜日の電車は酒臭い。おっさんくさい。湿度と温度が高い。
これは、問題だ。シラフの人からしたら不快指数がトンデモないことになっているんじゃないだろうか。なんとかして改善すべきだ。だが、何をどうやって解決するというのだ?
帰りの電車で、ぐるぐるとこんな思考が頭の中を飛び交っていた。
まだ、答えは出ていない。でも、物事を考えるときのヒントはたくさんあると思う。
僕たちがこれから先もこの宇宙、この惑星で生きて行く以上、誰かが少しずつ「僕らの住む世界を良くしていく」ことが重要だ。
起業家気質のある学生や、若い社会人は日々そのネタ探しに血眼になっているんじゃないだろうか。やりたいことを見つける前に「起業しよう」となるのは昨今の若者よ挑戦せよというおっさんからの圧力やメディアの風潮が大いに関係していると思う。あまり良いことではないな。
今日は、そんなアイデア欠乏症の人に向けて書く。
僕はどちらかというとアイデアマン気質なので御多分に洩れず日々いろいろなものからインスピレーションを吸収しようとアンテナを広げてはいるが、多分誰もがやってるわけではないことをやっている。それは、「人間を敬うこと」だ。
もうちょっとわかりやすくいうと、世の中の人々のこれまでの行動の蓄積こそが「僕らの住む世界」を形作っているのだから、他人の行動に敬意を払って注意深く観察することが新しい問題解決やものづくりにクリティカルに効いてくるということである。
ただ「見る」のと「敬意を持って観察する」のとではワケが違う。
「人のいる空間」に対して敬意を払えば、あるときにその環境がなぜ実現したのか?まで洞察がおよぶ。
「人物そのもの」に対して敬意をもてば、どうしてその人が今日自分の目の前にいるのか(そしてスマホを見ているのか)がなんとなくわかる。
僕は昔から物事を「立方体・直方体」で捉えるが、同時に敬意を払うことを覚えたことでより深い洞察ができるようになった。
例えば、さっき21時台の電車で見た60代の男性。
1時間以上かかる通勤電車。顔が真っ赤になっていて、飲み過ぎていたことがわかる。時折しゃっくりをしていて、ちょっと辛そうだ。ついにハンカチで口を押さえ出した。ハンカチはそこそこいいものを使っているようだが、身なりは小綺麗というわけでもない。結婚指輪はしていなかった。携帯はガラケー。
察するに、今日は忘年会か同窓会だったのだろう。奥さんか職場の女性から数年前にもらったハンカチを大事に使う、まあまあ人間味のあるおじさんだ。だが、酒量を調整するのが下手なくらいだから、年の割にあまり整然として生活はしてないみたいだ。
この状況を僕流に立体で捉えると、12月の金曜日の夜は「生活がまあまあ安定しているちょっと人間くさい孤独でないおじさんが酔っ払ってヘロヘロで帰る日」ということがわかる。すると、おそらく「ウコン」とか「ヘパリーゼ」とか「キャベジン」みたいな内臓調整系の商品の売れ行きがよくなってるんじゃないかな、なんてことがわかったり、そういうおじさんたちを駅で待ち受けるタクシー運転手の売り上げも上がっていることだが想像できたりする。
じゃあ、タクシーで「ウコンと水」売ったら結構売れるんじゃないか?という発想にいたる。おじさんたちも、わざわざコンビニに行ってからタクシーを探さずに済むので一石二鳥だ。
ここまでで僕が敬意を払ったポイントはふたつ。
「ハンカチ」と「格好」だ。
「誰かにもらったもの、つまりその人に人望がある程度あるかどうか」や、「容姿から導き出される行動パターン」はその人に興味を持たないと想像が及ばない。
これは人物そのものに敬意を払った例だが、それ以外にもいろいろ応用できる。
なぜなら、普段僕たちの視界に入ってくるものの裏側には基本的に「それを作った人・工程」が存在するわけで、そこに敬意を持って考えることでいろいろなことが想像できるようになるからだ。これはつまり、自分以外の視点を大事に扱うということだ。
自分目線だけで物を語らないように気をつけている人は多いと思うけど、自分目線だけで物を観察しないように気をつけている人はあまりいないのではないだろうか。特に外で。
僕は、常に敬意を示すことをおすすめする。それが、きっかけを作り出すと信じているからである。おしまい。