DRILLOOOON!!!!

だいたい1000字くらいで20歳の夏の思い出を書き溜めます。

世の中、ずるいやつばかり。

熱と痛み、夢

何年かぶりに熱を出して、寝込んでしまった。

僕の体はもうかれこれ40時間くらいは平熱を忘れているようだ。

 

いろいろな夢を見た。

 

かつて訪れたオーストラリアの、大いなる星空の下で、その寒さに白の息を吐き、世界の美しさに青の息をのんだあの夜に僕は再び立っていた。

かと思えば、かつて僕の心を殺した人と無機質な部屋でコーヒー・ブレイクをしていた。

次の瞬間には見たこともないガラクタの散らばる地下室に放り込まれて、気の滅入るようなお経を聞かされたりもした。

 

僕の特技、というか生まれ持った癖は、「夢で見た情景を記憶しておけること」だ。

印象的だった夢はストックしてある。これが、たまにクリエイティブの源泉になったりする。大抵は理不尽な恐怖に立ち向かうものが多いので、ゲームに起こすのは大変だが。

 

幼かった夜の方が、たくさん夢を見た。

最近では、「寝ている時に夢を見る余裕がない」。

というよりは「寝ている時よりも、起きている時に夢を見る回数が増えた」というべきか。

 

きっと、人生の選択肢を削る作業が進んでいくにつれて、睡眠の持つ役割が変わっていったのだろう。

 

かつての僕の睡眠が持っていた役割は、その日に見聞きして初めて知った世界を切り刻んで、自分の中で組み立て直して夢として認識させることだった。

今では、見聞きして初めて知った世界を組み立て直す作業は起きてる時に紙とペンと僕の手がやっている。自分の夢を目指している、というわけだ。

 

今の僕の睡眠が持つ役割は、休息と安寧のメタファーだ。

眠る、という行為そのものに僕の人間性が意味を見出した時から、役割の交代が起こったのだろう。

 

だが、今日、熱に浮かされた僕にとって睡眠は安寧をもたらすものではなく、むしろ苦痛の現れであった。

そこで、僕の体は僕が今まで見てきたものを再構成することを選んだのだろう。

まるで、かつての職場にヘルプとして参加するように、何かを懐かしむ感覚が確かにそこにあった。

 

今ではとんと増えなくなった、夢で見た景色のストック。

これを、どうにかしてもう一度増やす方法はないだろうか。懐かしさにあてられて、ゲームのアイデアを紙に書きながら、そんなことをぼんやり考えている。

GiG photo.#7[Amphibian Dream]

 

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