DRILLOOOON!!!!

だいたい1000字くらいで20歳の夏の思い出を書き溜めます。

世の中、ずるいやつばかり。

18の夏、冷房の効きすぎた部屋で君を想うということ

【今日のちょい鬱】

秋葉原駅のエスカレーター(下り)で「高校生カップル背伸びキス」を目の前で見せつけられて頭の中で青春パンクが爆音で鳴り響いてめまいがした0024です。銀杏BOYZ大好きだったなぁ。(なんか『恋仲』に峯田和伸さん出演したらしいですね。全然チェックしてなかったんでストーリーとか全然知らないけどTwitterで出演シーン確認したところ元気そうで安心しました)

 

というわけで、鬱第三回のテーマは失恋です。

今日のBGM:careful / Karl Kling

昨日までとはちょこっとだけ趣向を変えて、切ない感じのチョイス。アメリカ発のエレクトロニカのインディープロジェクト、「Remix Artist Collective(RAC)」に所属していたKarl Klingのナンバーです。

夏の終わりの晴れた日の昼下がりとかに聞くのがとてもおすすめです。ドライブにも合いそう。もしくは、これからの季節、秋冬の寒い日の朝方に、夏を懐古するのに聴いても良さそうですね。

 

1.中高で告白すると、一段上の世界を覗けるようになる

10代の恋。それは(寝てる時に見る方の)夢のような、あるいは映画のような、「確実な終わり」が見えているにもかかわらず参加せずにはいられないイベントです。

一度始まってしまえば、終わりを迎えるまで立ち止まることは許されません。

大抵、友達に相談して、外堀を埋めて、(幼稚な)お膳立てをして「告白」にこぎつけるのです。ここまで来たら、もう立ち止まれないですよ。

誰かに思いの丈をぶつけると、結果はどうあれ、何かひとつ大きくなったような気がするものです。映画を一本見終わったような、長い夢から覚めたような感じ。OKでもNGでも、「成し遂げたぜ。」という感覚になります。この「成し遂げたぜ。」が大学に入ってから初めて発動する人もいますが、時期はそんなに関係ないです。社会に出る前であれば大差ないでしょう。

 

こうして、告白をした人はなんだかちょっと自分が大きくなった気分になります。

 

ところが、(自分の容姿を気にするなどして)告白しないままにその好きな人がいる環境を卒業するケースもあります。不完全燃焼で燻ったまま投げ捨てた恋は、後年その人を苦しめ続けることでしょう。特に、20代のうちなんて何度も何度も昔好きだった人のことを思い出してはモヤモヤした気持ちに襲われて、ついに同窓会で再会したと思えば「あ、結婚してんだ・・・」とか「めっちゃブサイクになってるやん・・・」っていう謎の落胆を招く恐れがあります。あ、男側の話です。斉藤和義の名曲のようにはいきません。※*1ってやつですな。

 

10代の恋は本当に不完全です。何もかも。でも、その不完全さ、足りなさを見つめる機会を提供する、という意味で、「告白」は他の体験ではゲットできない経験値をもたらしてくれます。告白は今の日本で人格に面白さを足すには大事な要素なのかもしれません。

 

2.断る勇気と良心の呵責

さて、ここまで主に「告白する側」の話をしてきましたが、次は「告白される側」の話をしようと思います。

「告白」されたことのない人に、ひとつお伝えしなければならないことがあります。

 

「告白してくれた人を振る」というのは、なかなかに罪悪感に苛まれる行為です。

 

そんな馬鹿な!自分の一世一代の告白を切り捨てた時のあの子の眼差しの奥には、優越感に浸りながら、「私と釣り合うとでも思っているのかしら、この童貞は」とでも言いたげな冷たい炎が宿っていたぞ!と思ったそこのあなた。

 

多分その人は本気でそう思っていたと思います。すいません、擁護できません。

 

でも、あなたがいわゆる「良心」のようなものを持ち合わせているのであれば、全く好意に気づいていなかった誰かに告白されて、しかも断りたいとなった時に、それなりの罪悪感に襲われるはずです。

告白する側の人は、大抵「期待」と「不安」に満ち満ちていて、それが限界まで膨張しているのです。電話か直接告白されると、それが痛いほどに伝わってきて、どんな声色で話せばいいのかわからなくなりますよ、きっと。

相手はこれほどまでに自分のことを思ってくれているのに、自分は死刑宣告にも等しいことを今から言わないといけない…

その覚悟を急に迫られるわけで、振るほうも辛いのです。

 

場合によっては、「断った後で相手が泣き出したり暴れたりするかもしれない…」そんな恐怖も生まれます。

 

このように、「失恋させる側の勇気」というものも確かにこの世には存在します。それが例えあなたの人生に縁のないものであったとしても。だから、モテる人を頭ごなしに嫌わないであげてください。人知れず罪悪感に悩まされてるかもしれませんよ。

 

3.心がねじれていたんだと思う

ではこのへんで、少しだけ僕のケースを書きましょう。

僕がとても好きだった人と袂を分かち、一段高い世界が見えるようになって「サア歩き出そう」となっていた時期がありました。そんな矢先に、全く意識していなかった同年代の人に告白されたことがあります。

失恋したばかりだったので、そっちのスイッチがオフになっていたはずの僕でしたが、いろいろ考えた末、全てを白紙にしてOKしました

 

「ついこの間、僕が人生で初めて出会った素晴らしい人に良心の呵責を負わせてしまったのに、ここで断ってまた一人の人を悲しませるのか。だったら、OKして自分の責任をまっとうしていったほうがいいだろう」

 

僕は人を悲しませるのに過敏になっていたのです。センシティブな時期だったのでしょう。というわけで、そんなに意識していなかった人と付き合い始めたわけですが、器用貧乏で気分屋で飽き性で行動力の薄い僕に、「好きじゃなかった人を好きになる」なんて芸当ができるわけもなく、「クリスマスイブに別れる」という大失態をやらかしました。最初に断っていた場合よりも大きな悲しみを背負わせてしまったわけです。サイアクですなぁ。書いてて死にたくなってきました。

 

これが、物事を長期的に考えられず、目先の、責任の負えない契約を結んでしまった者の末路です。肝に銘じておくように!

 

「意識した事のない人と付き合っても、いいことないぜ」

 

4.秒速5センチメートルを見てささくれだつものは何か。

最後に。新海誠監督の、秒速5センチメートルという作品があります。

ネタバレこの世で7番目くらいに汚い人間性の発露だと僕は勝手に思っているので多くは語りませんが、今日の記事の内容が大いに関係している作品です。*2

あれを見て、「なかなか普通の恋愛のお話だった」という感想を持つ人と「心がえぐられた」という感想を持つ人がいます。前者はだいたい女性、後者は圧倒的に男性が多いです。なぜでしょうか。

 

ここからは僕の妄想でしかないですが、秒速5センチメートルを見て心がささくれだつ男は恋愛で失敗した過去のある、元クズ野郎である可能性が非常に高いです。それも、単に告白してふられたわけじゃなく、「自分から告白したくせに自分から別れを持ち出した」タイプ。物語に自分を重ねられるのは、物語的な人生を歩んでいる輝かしい人ではなく、人間臭い、ありきたりな人です。自分の物語の薄さをお金で買える物語で補填するシステムが、我々の魂には実装されている気がします。

 

そんな浅ましい我々でも、 誰かと巡り会い、時を共有することで見える世界はおおきく広がります。何が言いたいのかというと、「みんな、恋したほうが人間として面白くなれるよ」ということでした。

 

世の恋愛不適合者に幸あれ。

 

GiG photo.#4[I'm home]

 

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*1:ただしイケメンに限る

*2:まだ見たことのない人は是非Blu-ray画質でごらんください。超綺麗ですよ、画。